湧水

「第三回水郷水都全国会議」は、「霞ケ浦宣言」でとりあげられた「地域における水循環機構の修復と確立をめざす」というテーマを掲げて、1987年10月3、4の両日、静岡県富士市で開かれました。

ここは富士山の恵みを受けた豊かな湧水と駿河湾・田子ノ浦の優美な景観を備えた地域です。

しかし1960年代から1970年代の初めにかけて、富士市民は製紙会社から排出された製紙カスによるヘドロ公害をはじめ大気汚染・悪臭公害に悩まされこれに対し、住民運動が起こり、危機的状況を克服したところとして知られています。

ここに全国から150団体、400人が参加しました。

全体会議では地元の富士市役所につとめる杉本篤さんが次のような「基調報告」を行ないました。

富士山の南斜面、西・東斜面に降る雨は年間20億t、その50%が地下へ浸透し、山麓は自然の巨大なダムとなって、この地を潤しています。

また雪解けの水は長い年月をかけ、富士の霊水として裾野に湧くという自然のメカニズムがあります。

まさに「水都」と呼ぶにふさわしいところです。

しかし、この恵まれた地域にも近年、経済の高度成長期に始まる市内各地の湧水池の枯渇化現象、次いで地下水の塩水化現象など、かつて経験したことのないことが起こり始めました。

これは自然からの警鐘として一地域の問題であるとともに地球的課題でもあります。

今こそ地域における水循環機構の修復と確立、自然の生態系の基本に戻って地域の水環境の再生、水と人間の間の正しい共生をはかるべきです。

水クリティック(大木一雄)

水門開放

「霞ケ浦宣言」の採択に続いて「宍道湖・中海の淡水化事業の中止を求める特別決議」が採択されました。

参加者は霞ケ浦のアオコの異常発生の実態をつぶさに視察し、それが淡水化事業により常陸川逆水門を閉鎖した直後から出現したことを知り、強い衝撃を受けました。

宍道湖・中海は前車の轍を踏んではならないことを深く決意した、と述べています。

この特別決議の採択とともに「ひん死の霞ケ浦再生のために、常陸川逆水門はできるだけ明けておくべきだ」との提言が、拍手の内に採択されました。

その3日後、霞ケ浦視察に訪れた稲村環境庁長官は「逆水門の開放を研究課題としてみたい」と発言しました。

これに対して地元の竹内知事は同じ日に「逆水門のおかげで流域には塩害がなくなりました。

逆水門をあけ、塩水を導入しても水質が浄化されるかは、学問的に疑問がある」と否定的見解を示しました。

こうして水門操作の見直しの提言は、その後の霞ケ浦の浄化対策に、新しい論議を呼ぶ契機になったのです。

水クリティック(大木一雄)

水源自立

全体会議につづいて開かれた分科会は6つのテーマ、すなわち(1)霞ケ浦の再生は可能か―湖沼再生論、(2)都市の水循環、(3)農村漁村の水循環、(4)地域活性化と水質浄化、(5)市民の手による水質調査、(6)水とどうつきあうか、に分かれて詳細な討議が行なわれました。

全体会議と分科会を通じて次のことが明らかになりました。

第一に湖沼を水資源供給のシステムとみて、「開発と自然環境の保全は両立する」とした湖沼開発の論理の矛盾が解明されたことです。

第二にその対策として、水と人との間の正しい共存関係について、すでに多様な方策が各地で模索されていることが提示されたことです。

第三に、その代表的実践として、湖沼近辺の農村、漁村における水循環による汚染の軽減の方策が現実化していることです。

都市の水循環をめざして、自治体と研究者と住民が協力し、雨水の活用による「水源自立」の思想にもとつく先進的対策が現実化してきていることです。

第四に、市民の手による長期にわたる水質調査にもとついて、水を生かした地域活性化の行動が各地で多彩に展開されていることなどでした。

これらの実践は、まさに、前年の「第一回水郷水都全国会議」で採択された「松江宣言」のなかで打ち出された「親水権」の権利概念の内容を豊かにし、その具体化をめざす行動といえるでしょう。

こうした討議を経て「第二回水郷水都全国会議」は「霞ケ浦宣言」を採択した。

宣言は結論として「討議を通じて明らかになった数多くの『アオコ河童の提言』をふまえて、(1)霞ケ浦および琵琶湖総合開発事業の抜本的再検討、宍道湖・中海の干拓・淡水化事業の中止をはじめ、全国各地にみられる湖沼、河川、海域における生態系を無視した開発の中止を要求する、(2)地域における水循環機構の修復と確立をめざす、(3)現代人が水とつきあうための哲学ともいうべき水文化の再生と創造の道を歩む」と述べています。

水クリティック(大木一雄)

漁民同士の体験交流

第二回の「水郷水都全国会議」には各地から150団体、600人が参加しました。

なかでも注目されたのは宍道湖・中海から漁民を中心に150人がバスを連ねてやってきたことです。

一行は途中、東京で農林水産省を訪ね、淡水化反対の陳情を行なったあと、土浦に到着した。

地元からは基調報告に続いて「霞ケ浦からの報告」が行なわれました。

「商人の立場から」「漁業者の立場から」「農業者の立場から」「霞ケ浦の地勢および開発の状況」「市民運動」と題して次つぎに、それぞれの立場の市民がスライドを使って報告をしました。

そのなかで地元の出島漁協の漁師桜井謙治さんは「昭和38年に、獲る漁業からつくる漁業へ、というのでコイの養殖にきりかえ、茨城県は全国一の生産を誇るようになりました。

しかし48年、常陸川逆水門が完全に閉鎖された年に、想像もしなかったアオコの異常発生により、酸素欠乏で7月14日から3日間に200面ほどの網いけすが全滅しました」と切実な体験を述べた。

この報告に聞き入っていた宍道湖の漁師たちは、その夜の交流会で、霞ケ浦の漁民から、さらに詳しく体験をきいた。

「全国各地からの報告」では九州・柳川、東京・下町、東京・三多摩、利根川上流・足尾、瀬戸内海、手賀沼、琵琶湖、富士市の住民たちから現状が述べられました。

ここで注目されたのは、湖沼や河川の汚染問題に加えてソーラーシステム研究グループによる都市における水循環の解明や富士市に見られる地下水枯渇の問題が報告されたことです。

「水郷水都全国会議」の取り組む対象が水質問題から水の循環の在り方にまで拡大してきたことを示しています。

水クリティック(大木一雄)

論理を湖にあてはめて開発

人問の幸福のために、その論理を湖にあてはめて開発したところ、結果的にこうした状況になりました。

人間の論理を追求することが自然を破壊し、つまりは人間を不幸にするというまことにおかしな状況が生じた。

河童を生み出した精神は、この自然界はけっして人間のためだけに存在しているのではなく、人間の論理が通用しない世界があるのだという知恵を人びとがもっていたからではないでしょうか。

人間はあらゆる生命のひとつにすぎない。

人間だけがここに生きているのではありません。

魚をとり、土をいじり、水を使う、これは人間の生命活動としてやむを得ないことです。

しかし一昔前の私たちの祖先は、そこにありがたいという感謝の念がありました。

またここまで使っていいのだろうか、という恐れがありました。

それがさまざまな祭りや水神伝説あるいは河童伝説を生んだのです。

「私たちが河童を登場させたのは、すべてが人間のためにある、すべてが人間によって論理化できるとするうぬぼれに対するアンチテーゼとしてなのです。

人間のエゴイズムにもとつく論理の展開によって生じたものがアオコであるとすれぼ、私たちはそのような人間中心主義の開発に強く反省を迫り自然と人間との本来の形での共存の理念を生み出す必要があるでしょう。

これが、私たちのめざす水哲学の創造であり、水文化の再生につながる道であると信じます」。

医師の佐賀さんは基調報告をこうしめくくりました。

水クリティック(大木一雄)

ロボット化

それは地元の医師、佐賀純一さんが行なった「霞ケ浦のロボット化」と題する基調報告のなかで明示されました。

その講演は、草の根の人びとの暮らしのなかに存在してきた河童伝承を検証し、これを通じて水の哲学を論じたもので、論旨明快、聞くものを感動せしめるものがありました。

その要点を紹介しよう。

「水の問題は人間生活と密接に関係しており、私たちのものの考え方と不可分に結びついています。

したがって、湖沼・河川の問題を論じる場合、単に汚いという現象を批判するだけでは何にもなりません。

私たちは、私たちの水に対する考え方、すなわち水の哲学にまで足を踏み入れなくてはなりません」と冒頭に述べたうえで、次のように論旨を展開しています。

現在、霞ケ浦は淡水の広域的利用をめざし築堤工事、逆水門の操作によって管理され、合理的、能率的、経済的に利用される無生命のロボットと化しています。

しかし生命は、無生命ロボットに変えられることに反逆する。

それが汚濁という現象となって現われる。

アオコこそは人間に対する生命ある湖の反逆の現象です。

自然界は人間の論理だけで動くものではありません。

人間の論理を追求していくと自然界における他の生命は破壊され、自然は危機に直面する。

霞ケ浦開発事業は莫大な資金を投じた国家的事業です。

決して人間を不幸に陥れよう、湖を破壊しようとして計画されたものではありません。

しかしここには人間の論理しか働いていません。

水クリティック(大木一雄)

アオコの実物

1984年、世界湖沼環境会議の席でアオコの実物を見た全国のカッパたちは、大いにおどろき、湖や川のほとりに住む者どうし、互いに手をたずさえて生きる環境を守っていこうと約束しました。

宍道湖のカッパは宍道湖のシジミたちに、このアオコのドロドロを見せてやりたいと、お土産に持ち帰りました。

この霞ケ浦のアオコを見てしまった宍道湖・中海の人たちのなかで淡水化事業見直しの機運がたかまりつつあります。

9月に第二回水郷水都全国会議を霞ケ浦で開催します。

ぜひ、この私たちの湖をごらんになって下さい。

一度汚れてしまったものを元にもどすことはいかにたいへんなことか、わかっていただけるとおもいます。

しかし、この霞ケ浦でも、私たちカッパの哀しい声に耳を傾け、浄化への努力を惜しまない人たちがいます。

全国のカッパと、人間たちの知恵と経験を寄せあって、湖沼の再生を模索したいと思いますので、ぜひご参加下さい」閨アオコ河童は水哲学の確立のためのひとつの例として登場させた架空動物です」と「土浦の自然を守る会」の主婦・奥井登美子さんはいっています。

まさに第二回大会は深刻な湖沼環境の破壊を前にして住民たちが、自らそこに生きる文明社会の根底にある哲学を問い直して、新しく「河童の思想」を提示したのでした。

水クリティック(大木一雄)

アオコ河童

第二回の「水郷水都全国会議」は1986年9月6、7の両日、水汚染の激しい霞ケ浦湖畔の土浦市で開かれました。

地元には長年、霞ケ浦とそこに流れ込む桜川の水質調査を続けてきた「土浦の自然を守る会」の住民運動があります。

今回のタイトルは「水文化の再生をめざしてアオコ河童からの提言」です。

参加を呼びかける案内文には次のように書かれていた。

「私は霞ケ浦のカッパです。

名前はアオコ、利根川の、かの有名なネネ子カッパの妹分です。

カッパは保護色ですから、湖が汚れれば汚れたなりの衣裳をまとうしかありません。

夏になると、私たちの衣裳は、悲しいことにミドリ色のどろどろに変わってしまいます。

こうなってしまったのも、今の人間が、湖の中に私たちが住んでいることなどすっかり忘れて、単に物質としてしか、水をみなくなってしまったからです。

昔の人は私たちカッパをこよなく愛し、尊敬し、時に恐れながらも私たちを通して水とのつきあい方を学び、豊かな水の文化を築きあげてきました。

水クリティック(大木一雄)

「親水権」の確立

水環境をめぐるこのような住民、自治体の動向に対して、国の対策の立ち遅れが指摘されました。

また住民による「親水権」の確立と、これに基づく「親水都市」の整備の必要なことが強調されました。

そのことは、全体集会の最後に決議された「水郷水都松江宣言1985」のなかに盛り込まれた。

「親水」という考えは、従来の治水・利水・保水という概念に加えて、新たに認識され始めたものです。

住民は水と親しみ共存する権利があるというのです。

親水権の主張は、自然海岸を守る入浜権の主張と同様に、水環境の保全を願う住民の暮らしのなかから生まれた権利概念です。

世にいう環境権の一環をなすものです。

それゆえに、これまで水郷・水都で暮らしてきた人びとの水環境との長いつきあいの慣行を検証し、さらに、これからの住民運動のなかでさまざまな要望が付加されることによって、豊かな権利へと形成されていくことが期待されているのです。

入浜権と車の両輪のように協力して進展する、形成の過程にある権利概念といえるでしょう。

「松江宣言」と並んで一特別決議」が採択されました。

それは、宍道湖・中海の淡水化事業は水質の汚濁、自然の破壊、地域社会の衰退を招くとして、水資源の開発や干拓地の利用方法については、それがもたらすメリットとデメリットを公開して、環境保全の立場から再検討すべきだと述べています。

また、干拓・淡水化事業の最終判断については島根・鳥取両県の住民の意志を尊重すべきだと強調しています。

この集会が地元の住民運動を鼓舞し、運動を発展させたことはまぎれもない事実です。

さらに、それにもまして見逃してならないことは、これを機に宍道湖・中海淡水化問題が、全国的に注目されるようになり、その可否が国政レベルで論議され始めたことです。

水クリティック(大木一雄)

歴史的環境

柳川、近江八幡のように保全・再生に成功したところと、運河の一部を埋め立てて水辺の歴史的環境を壊してしまった小樽のように、地域によって環境の状況に格差が出てきたことも明らかになりました。

住民運動も快適な地域環境を創造するという視点から、幅広い階層の参加を得て自治体に対策を迫り、さらに具体的な政策提言をして、自治体をも巻き込んでいく力を備えるようになってきたことも確認されました。

たとえぼ島根・鳥取両県下の22の団体で組織している「中海・宍道湖の淡水化に反対する住民団体連絡会」では、1984年10月から12月のわずかニカ月間に28万808人の淡水化反対署名を集め、県当局と県議会に提出したといいます。

なかでも島根県側では関係10市町のすべてで、人口の過半数を越える署名があり、有権者の多くが淡水化反対の運動を支持していることを明らかにした。

このことが淡水化事業に対する地元自治体の姿勢を、徐々にではあるが確実に変えつつあることに人びとは気がついた。

この署名運動で形成された運動の伝統は、その後、1988年に起こした「宍道湖・中海景観保全条例」の署名運動となって結実し、淡水化工事の事実上の中止という事態を引き起こす直接の原動力になったのです。

水クリティック(大木一雄)